「出来レース」と「一本釣り」
しばらくぶりの更新です。
今回は「出来レース」と「一本釣り」採用について書きたいと思います。
私が直接関わったわけではないですが、選考委員会の意見が教授会で認められない事例がありました。
職位に意見の相違があり、1階級下げて採用するように意見が出たようです。
なぜこのようになったかというと、この選考はいわゆる「出来レース」で、公募こそ行われましたが、あらかじめ声がけをしていた教員が選考委員会で選ばれました。
先方には昇格採用を約束していたようですが、それが厳しいという結果となり、辞退されてしまいました。
このような経緯から、急遽新たな教員を探す必要がでてきました。
すると、すぐに上層部から新たな候補者の提案があり、臨時教授会が開催されて、わずか2週間ほどで採用が承認されました。
今回は公募することはなく、まさに「一本釣り」です。
下々教員の私が今回の話を知ったときは、ほぼ採用が決定している状況でした。
正直、これがいいか悪いかは分かりません。
ただ人事においては、「運」という巡り合わせも、大きなファクターだと改めて感じました。
どんな先生が着任されるのか色々な意味で楽しみです。
新型コロナに思う⑥
新年度の幕開けとなりましたが、残念ながらコロナの終焉はまだまだのようです。
私が赴任している大学では当面の間、遠隔授業で対応することになり、少々戸惑っています。
放送大学や東進の先生は慣れているんでしょうね。
最近また気になっていることがあります。
全チャンネルで連日のコロナ報道を繰り広げています。
そのような中、各チャンネルがこぞって感染症に詳しい医師をコメンテーターとして招集しています。
すでに2ヶ月以上こんな状態です。
直近の報道では、首都圏を中心に医療崩壊の危機が取り上げられるようになりました。
医療崩壊の危機だからこそ、テレビ出演をオファーせず、専門の医師が現場で診療にあたれるようにしてあげるべきではないでしょうか。
ここまで感染が蔓延してしまうと、専門家の意見を聞いても、拡大を止めることは無理だと思います。
感染を封じ込めるのではなく、感染した人が適切な医療を受けられる体制を維持していくことが急務です。
また、コロナの院内感染がさも医療者の怠慢のように報道されています。
潤沢な防護具・スタッフがない状態で、他の診療と平行してコロナに対応するは不可能といえます。
あたかも医療者側に問題があるように報道されるのであれば、疑わしい患者を診察しないという選択をとる医療機関が出てきかねません。
報道は客観的なデータを元に私見を交えずしてもらいたいものです。
新型コロナに思う⑤
新型コロナPCR検査が保険適用となり、保険点数が1800点となりました(検体の輸送が必要な場合)。
保険点数は1点10円なので、18000円かかることになります。
当面は自己負担分も国が費用負担するそうです。
未だに「希望者全員にPCR検査を!」と言っているマスコミをみかけます。
国民の約半分5000万人に実施すると9000億円です。
経過観察にも実施すると、検査だけでも軽く1兆円を超えます。
イタリアの例でも分かるように、やみくもに検査を実施し、症状に関係なく陽性者を医療機関に入院させれば、医療崩壊が生じ、必要な人に適正な医療を提供できない状態となります。
私自身、PCRはよく実施しますが、決して万能ではないです。
検査法自体の感度、サンプル採取状況、症状の有無など、結果に与える要因は色々あるので、「陰性=ウイルスに感染していない」とはならないのです。
これは簡易検査が開発されても同じことがいえます。
検査回数を増やせば精度は上がりますが、費用対効果を考えると、そこまで必要かということになります。
がんに置き換えると分かりやすいのではないでしょうか。
一般的な健診レベルでみつけられる無症状のがんはごく僅かです。
しかし、潜在的に細胞レベル、遺伝子レベルでがんを持っている人はたくさんいます。
感染症と異なり、がんは人に伝染することはありませんが、生命に関わる重さは非常に大きいです。
一部のがん健診は自治体によって無料で受けられる仕組みがありますが、人間ドックなどは基本自費で受診することになります。
それでも見つからないがんはたくさんあります。
がんも新型コロナのように、希望者全員の遺伝子を網羅的に検索して、必死に探し出すことがいいと思われますか?
がんは長い間、死亡原因第1位です。にも関わらず、現況はそのような検査体制を求める声はほとんどありません。
さらに遺伝的な脳血管障害リスクなど、生活習慣病を誘発しやすい要因も探し始めたらキリがないです。
また、仮にリスクがあると分かった場合、そのリスクを回避するために聖者のような健全な生活を続けられる人がどれだけいるのでしょうか?
今も連日、新型コロナ感染者や感染者のいた場所を特定し、無責任なコメンテーターの意見を付加して報道しています。
なぜ感染者数、症状、入院数、退院数やその比率を客観的に報道することはできないのでしょうか?
なぜ政府の批判など、ネガティブな報道ばかりするのでしょうか?
症状があっても申告せず、対症療法でしのいでいる人もいるのではないのでしょうか?
自分であれば、あれほどのバッシングを受け、行動歴を晒されるのを分かって、正直に申告できる勇気はありません。
世界情勢をみても、新型コロナに対する感染対策は必須といえます。
だからこそ、正直に申告しても不利益を被らないように不安を煽るような報道はやめてほしいです。
震災復興
新型コロナの影響で東日本大震災九周年追悼式も中止になってしまいました。
卒業式、送別会、式典、学会、ライブ、旅行など、全て自粛です。
感染拡大を防ぐためには必要な措置なのは理解できますが、寛容さや思いやりが失われている気がしてなりません。
咳払い一つで冷たい視線を浴び、罵倒されることもあります。
東日本大震災のときは、直接被災しなかった人も心を一つに復興を願いました。
多くのアーティストもチャリティーイベントを開催してくれました。
その中でもComplexの復興支援LIVEが大好きです。
直接観に行けませんでしたが、何度もDVDで見ましたし、今もビール飲みながらみてます。
あの時の一体感が懐かしいです。
新型コロナに思う③
昨日、仕事の帰りにたまたまドラッグ・ストアに立ち寄ったら、トイレットペーパーを抱えた行列ができていました。
カート一杯に買い込んでいる人もいました。
箱ティッシュや生理用品も同じように手に取る人が散見されました。
もちろん陳列棚はもぬけのからです。
ウイルスの拡散によって、医療、教育、観光、流通、経済、日常生活・・、全てに影響がでています。
そして差別問題も大きな課題となっています。
インフルエンザは治療薬がありますが、年代問わず症状が重いですし、周囲で発生した場合は、ある程度感染経路も予想できます。
だからといって目くじら立てて、バッシングまではしないですよね。
マスク等の感染対策もなしに、ルーズに登校・出勤しない限り、「しょうがない」と許容できていたと思います。
新型コロナ感染の多くは重症化しません。
リスクが高い人であっても、病院に行く敷居が低ければ、重症化する前に食い止めることができます。
しかし、社会があまりに過敏に反応するので、自己判断で医療機関へ行くなといわれています。
疑わしい症状がでた場合は、自宅で数日様子をみて、保健所に相談するようにと。。
これって最も高い効果が見込める医療介入の時期を見逃していることになりませんか?
来週から学校は休校となるようです。
賛否両論、色々な意見があると思います。
でも、マスコミやSNSは批判的な情報に偏りがちです。
安易に楽観するのはよくないですが、根拠なく不安をあおるのはもっとよくないことです。
全員が納得する対策なんてありません。
今は新型コロナで社会が混乱しないように協力し合うしかないです。
批評はあとからでいいです。
以前も書きましたが、感染制御は騒動が収まり、様々な事例を総合的に振り返って初めて、対策の効果が分かります。
医療、経済、交通、教育、娯楽など、何を基準にするかによっても評価が変わると思います。
批判する人に限って、買い占めに走っている気がしてなりません。
ネット社会の普及によって、危機に対する協調性が失われ、エゴが強くなってしまった気がしてなりません。
教員公募について考える③
つい新型コロナに熱が入ってしまいました。
メインテーマの教員公募について書きたいと思います。
今回は本当に公募なのか?いわゆる「出来レース」疑惑について書きたいと思います。
私自身、教員になって3年なのでそれほど多くのケースを経験したわけではなく、実際の選考に関わったわけではないですが、知っている範囲で書きたいと思います。
① 一本釣り
私大ポストや医学部の助教で多いように思います。
このケースでは公募をかけないので、不利益を被る人はいないので安心です。
② 有力者のいる公募
国公立大では助教であっても公募が基本となっていますが、ポスドクや助手、再任教員等、すでに内部に候補者がいるケースは多いです。
ごくまれに公募の時点で、研究室内にも応募者がいると明記されていることもあります。
知る限りでは、部外者はかなり分が悪いです。
業績が豊富で自信がある人もいると思います。
そういう人は書類審査を通り、対抗馬の1人となりますが、助教クラスではそこまで業績にこだわっていないことも多いので、面接ではそれほど効力がありません。
選考する側(教授陣)は、研究者のスペシャリストです。類い希な能力を持つ者以外は人柄で判断されると思った方がいいです。
逆に業績に自信のある候補者はアピールしすぎて、謙虚さにマイナスがつくことが多いようです。
質問に簡潔に答えられるようにするのはもちろんですが、とにかく謙虚さ、従順さを伝えることを意識した方がいいと思います。
また背景を知るためにも、応募する研究室のHPを確認し、応募しそうな人材がいるか確認をした方がいいと思います。
自費で面接まで行ったにもかかわらず、このようなケースに遭遇すると本当に辛いです。
印象に残っている教授選があります。
内部候補者1名(地方国立准教授)に外部候補者2名(両者とも旧帝大准教授)で、外部の1人は研究業績、公開セミナーともに抜けて素晴らしかったです。
しかし、結果は内部候補者となりました。
教授選なので研究・教育業績が重視されると思ったのですが、前任教授の息のかかった内部候補者には勝てませんでした。
ただここではもう1つ要因があったように思われます。
内部候補者だけが女性でした。
(差別的発言に感じた方がいましたらご容赦下さい。全くそのような意図はありません。)
昨今、教員の女性比率、中でも教授の女性比率は大学の評価に大きく関わってきます。
そのような社会情勢の変化も考える必要があると思います。
③ ガチ公募
数は多くないと思いますが、マイナーな(人気のない)研究分野だとあると思います。
自分にとっては本意ではない研究室かもしれないので、よく考えた方がいいとは思いますが、説得力のある教育歴を作るためには専任教員になるのが一番です。
教員になるためには教育歴が必要で、教育歴を作るためには教員にならなければなりません。
まさに公募パラドックスです。
しかし、つてがない場合、このケースの公募へ応募することが、最も教員になる近道だと思います。
ちなみに、私もこのケースでなんとか教員生活をスタートしました。
そして教員になったことを契機として2校目の大学へ異動することができました。
1校目は色々ブラックでメンタル的にきつかったですが、今となってはいい修行になったと思っています。
(ブラック研究室については今度書いてみたいと思います)
④ その他
私のケースで結構レアだと思いますが、過去に書類審査で落とされた大学から逆指名をもらったことがあります。
内部的に急な退職者がいて後任を急いでいたことが背景にあり、応募した分野とは異なる分野からの連絡でしたが、その方が専門に近かったので、快諾し現在に至っています。
よく公募要件の中に、応募書類一式は審査後に破棄すると書いていますが、実際にはそうではなかったようですね笑
この経験で感じたことは、無駄だと思いながらでも、1つ1つの応募書類をしっかり作っておいてよかったということです。
「捨てる神あれば拾う神あり」本当にそういうことってあるんだなと思った瞬間でした。